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2007年12月23日

父への手紙

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ずっと、手が止まっていた

父への手紙


「なっちゃんは、その明るさの奥に力強い怒りがある気がする。」

こないだ仲間に言われた鋭い言葉。


もうそろそろ、浄化したい。

浄化しよう。


父への手紙。

書こうと思います。



・・・

お父さん

先日は、おじいちゃんのお通夜の後、
立派なお返しをありがとうございました。
お礼が大変大変遅くなり、失礼いたしました。 ごめんなさい。


お父さんは元気にしていますか?

私は去年の今頃、バンタンという12年勤めた会社を退職し、
今は広く
企業研修の講師や教育のコンサルティング、ファシリテーターやコーチなど、
いろんなことをフリーで行いながら暮らしています。


先日お父さんと会ったのは、おばあちゃんがなくなって以来でしたね。

おばあちゃんが亡くなった時は、私もまだ大学生で、もう10年以上も前のこと。
なんだかんだと、時はどんどん経ってしまっていましたね。

昨年末。退職をきっかけに、母と話し合い
今の父親の方へ戸籍を移し、私も山田となりました。
これからは、山田のひとり娘として、私が父と母を支えていきたいと思っています。

名前も心機一転、ビジネスネーム 山田 夏子 として活動しています。


お父さん
自分の気持ちの整理の為に、少し今までのことをここに書かせてください。


大学生の時、おばあちゃんが亡くなって、告別式にひとりで参加したときのこと。
火葬が終わり、あの告別式の会場で、お父さん達が帰った後、わたしもすぐに帰ろうと、席を立ちました。

そうしたら一人のおじいさんが私の前で土下座をして、
「富美子さんとあなたには済まないことをした。」と、頭をさげてきました。
多分、その方は、お父さんの今の奥様のお父さんだったと思います。

その出来事で、自分は知らないところでいろんな人が見守ってくれているんだと感じ、力が沸いたのを覚えています。

帰って、この出来事を母に話し、そのとき初めて、母が別れた状況を、詳しく私に教えてくれました。

自分の父親を憎むくらいなら死別の方がマシだ! なんて、、、
そんな風に思ったときもありました。

ただ、それ以上に、母は愛情深く、明るく、楽しく、私を育ててくれた。
その母への感謝の気持ちのほうが、今は大きいです。

今、ひとり元気にたくましく仕事が出来るのも
教育やコーチング(母はこの仕事を、人と人をつなぐ仕事と言っています)の仕事に
情熱を持って携われているのも、
この生い立ちが、なにより自分にとってのギフトになってくれている。
だからだと思っています。


私も34歳になりました。


いつか私がお嫁に行く時が来るとしたら、
きっとその時が、お父さんを自分の中でちゃんと許せた時なんだろうと思います。

長々と勝手なことを書いてごめんなさい。

読んでくれてありがとう。


お父さん。どうか、ずっと元気でいてください。



山田夏子より
posted by なっちゃん at 19:40| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

次のステージへ

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最近、毎朝走っています。 今日で8/1000日坊主目。


こんなバウな張り紙も発見。
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楽しみながら続けます。

・。・。・・・・・・


おじいちゃんのお通夜で、久しぶりに実の父と再会。
めぐっちのブログを読んで、
http://diary.jp.aol.com/xy87xh/404.html

私もひとつ、次のステージに進んだ気がする。


生まれてすぐの、父親の浮気。

それによって、家を出され、母一人子一人、何とか生きてきた。


『男の人は、結局最後はだまして逃げちゃう』


小さい頃の記憶など全くないにもかかわらず、

潜在的に思い込んでいたんだと分かった。


思い込みが、結果をこの方向へ自分から仕向けていた。んだ。


おじいちゃんのお通夜で、父への母の憎しみを目の前で見た。

そうとうなものだ。

きっと、私は小さな頃から、この非言語のメッセージを
受け取っていたんだろう。

だれよりも母の味方でいるために。



しかし、これは、母の体験であって、私の体験ではない。

ちゃんと区別しよう。

きっと、だまさず、逃げず、共に生きようとしてくれる人はいるはずだ。

受け止めよう。ちゃんと、受け止めよう。

母が今幸せなように、私は自分の思い込みを手放す時が来た。 んだな。

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今日は、親友たけちゃんの家へ、ハセと遊びに行った。

2年前の年越しは、四国直島のパオの中で、30過ぎた女3人、
誰も彼氏もおらず、人生ゲームをやりながらやさぐれていた。

たけちゃんは、その歳の春お付き合いを始め、夏には結婚。
そして、新居に出産と、、、絵に描いたような幸せ街道まっしぐら。

今日は、ハセと2人、森林浴ならぬ、幸せ浴をした。

お昼をご馳走になり、赤ちゃんと遊ぶ。

遊んでいるうちに、赤ちゃんよりも、ハセと私が寝てしまった。

1時間半のお昼寝。

そのまま、夕飯までご馳走になり、

一家に深くお辞儀をして、帰ってきた。


「人生が変わるのなんて、2日か3日の出来事だ。」

彼女の言葉に、

ハセと私は、呪文のように 「2日か3日。。」
            「2日か3日。。」
               「2日か3日。。」
と、唱えていた。



posted by なっちゃん at 00:21| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

お別れ

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朝の景色



6月3日
実の父方の祖父が亡くなった。

今日はお通夜だった。


大好きだった おじいちゃん。

父は、中学の時に弟夫婦の養子に入った。

お嫁に入った母を含め、他人4人が暮らしているような
ばらばらな家族だったらしい。

そんな中で、私が生まれたことは、
おじいちゃん、おばあちゃんにとって、
自分たちの家族が増える、大きな喜びだったそうだ。

初孫として、それはそれは可愛がってもらった。


両親が別れてからも、母が忙しい時には、

よく、おおおかやまのおじいちゃん&おばあちゃんの家に

あずけられていた。


高校生の頃、

父親とは音信不通のなか、おじいちゃん&おばあちゃんは、

10年ぶりに、

厚木の山奥でひっそり暮らす私たちに会いにきてくれた。

私が浪人できたのも、おじいちゃん達のおかげ。


大きくて、優しい笑顔で、、、

肩車してくれたこと、その時のポマードの匂い。

かすかな記憶の中で覚えている。

肉親の男性を体感覚で覚えているのは、唯一、おじいちゃんだけだ。


今日の案内のFAX文に、
「病気療養中のところ、、」とあるのを、母が見つめながら、、、

「生きてるうちに連絡くれれば良かったのに。。。」とぼやいた。

おばあちゃんが亡くなられたのが13年前。

その頃、お葬式等で会って以来、結局、13年間 顔を合わせることなく

お別れすることになってしまった。


母がそうぼやいたが、
私は、自分から顔を出しにいかなかったことを後悔した。
もっと会いに行けばよかった。


なんだか余計に悲しくなった。

母としては、もう、身内でもなんでもない関係。

母は、行きたくない様子で、

「とっとと帰って、2人で飲もう。」そう言って、

会場に向かった。


実の父親との再会も、おばあちゃんのお葬式以来。 13年ぶり。

身内の不幸がないと、親子が顔を合わせることもできないのかと、、、

また、いろんな意味でくやしく思う。


お焼香に並び、自分たちの番が来た。

お父さんと顔を合わせる。

父は、慌てて、

「中に入って、座っていてくれ! みなも、おかあさんも!」と手招きしてくれた。

母は、それを過剰なくらいに拒否した。

一瞬、お通夜の場が、固まる。

ひとまず、頭を下げ、母とともにその場を離れた。


「お母さん、10分だけ、おじいちゃんに挨拶してくるね。」

そう言って、母をロビーに待たせ、

父の後ろの席に座った。

13年ぶりの父は、一回り小さくなって、背中が丸くなっていた。

異母兄弟は、大きくなっていた。


おじいちゃんの写真を眺め、泣き、挨拶をして、会場から出てきた。


ロビーに戻ると、泣きはらした顔をした母が、ひとりぽつんと立ち尽くしていた。

「待たせたね。ありがとう。」

お清めの席。にぎやかに笑い声さえ聞こえる中、

端の席で、2人で泣きながらお寿司をつまんだ。

母は、帰り際、

「もう一度だけ、おじいちゃんに挨拶する。」

そう言って、

会場のドアの外から、そっと覗いて手を合わせていた。


その後、2人で飲みなおした。

母は、
「30年前の出来事が、一気によみがえってきちゃったわ。」

そう言った。 

そうか、、、30年も前の出来事なんだ。。。

私は、小さい頃の記憶がほとんどない。

そんな中、母はたくさん昔の話を教えてくれた。

親子貧乏銭湯暮らし。

銭湯で、どっちが先にお風呂に入れるか競争して、
母がブラジャーしたまま、お風呂に入ろうとしたことや、

保育園から帰りたくないと、駄々をこねて、迎えに来た母を困らせたこと。。。


一番びっくりしたのは、

私が2歳の時。

父の浮気が発覚して、

父、母、おじいちゃん、おばあちゃんでの家族会議になった。

険悪なムードで言い争っていた矢先、

2歳の私が声を出したそうだ。

「もうー、みんなっ、お手手つないでっ!お歌うたってっ!」

全員、びっくりしたそうだ。

おじいちゃんとおばあちゃんは、すぐにお手手つないだものの、

さすがに父母はすぐにはつなげない。

すると、2歳の私は、

「そこ!つないで!うたって!」と。。。言い切った。


4人で手をつなぎ、しぶしぶ、歌を歌ったそうだった。


母は、この話をして、、、

「だからね、あんたが今、コーチングだっけ。。。

 あーゆう、人と人の心をつなぐような仕事をしていること、

 わかる気がするのよね。」

そう言ってくれた。


2歳の私は、すごいなぁ。。。

びっくりした。


私たち親子の歴史では、2人で乗り越えていく、いくつもの課題を

与えてもらった。

今思えば、どでかい財産だ。


こんな風に、30年間を振り返らせてくれた、おじいちゃんに感謝だ。


最近は、人の死が、ただ悲しいだけでなく、

沢山の学びや気付きを与えてくれる意味あるものだと実感する。


父にも手紙を書こうと思う。

連絡先がわからず、思うようにつながらない中、
何とか知らせてくれたこと、

お父さん、ありがとう。


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沢山家族をもちたいと思う。







posted by なっちゃん at 02:16| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(1) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

美人美術教師を目指していた訳

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原美術館の植物



しゃちねぇと過ごした2日間。

いったい、この2日間で、何件はしごしたことやら。。。


やはり、わたしは、本音を率直に言うおねぇさんが、

つくづく好きだと実感している今日この頃です。



昨日、ゆたか講師のご好意で、

厳しい選考(水着審査?!)を潜り抜け、

勉強会に参加させてもらった。


11年前、新卒入社研修で、学長から配られたその本は、

私がはじめて手にしたビジネス書となった。

懐かしく思いながら、受講。


自分のミッションステートメントを書き出しながら、

とても大切な、

とても肝心な、

とても重要な、

自分の原点を思い出した。


何で忘れていたんだろう? 

それこそ、下手したら10年近く忘れていたかもしれない。 

それにもびっくりだった。


それは、

● (美人)美術教師 をめざしていた理由 ●


大学時代、ある本と出会った。

『15000人のアンネ・フランク―テレジン収容所に残された4000枚の絵』

ナチス時代、テレジン収容所に収容されていた人達。
大人達は、この悲惨な毎日の中で、
それでも、子供たちが、生きる喜びを感じ、明日も生きたい!と
思えるよう。
必死で、紙と書く物を揃え、子供達に絵を描かせた。
見つかったら、どんな刑罰をうけるかわからない。
そんな中で、そっと、枕の下に紙を隠しながら、
明日は、この続きを描くんだ!と笑顔で願い、
子供達は絵を描き続ける。


生まれてすぐの親の離婚。
私には、小さい頃の記憶が全くない。
ダンボールに放り込むだけのような保育園に
あずけられ、
(その昔、暗闇の円から大人達が顔を覗かせ
何かをみんな叫んで来る夢を何度も見てた時期もあった)
かんしゃくもちで、じっとしていられない子供だったそうだ。
そんな私が、絵を描いている時だけは、癇癪を起こさず、
辛抱強く、おとなしく、集中して描くことに取り組んでいたらしい。


とにかく毎日絵を描いていた。
私の生きる原動力。


バンタンでアート科のクラスを受け持ち、
私が何よりもしたかったのは、
彼らに、生きる力をもっともってほしいということだった。
アートと社会性をつなげる授業。


思い出した。

そう。

アートを通して、生きる力をもっと引き出したかった。んだ。


本のことは、10年近く忘れていたけど、

振り返れば、今までも、これからも、

ここを追い求めて歩いているな。


今日、原美術館で観た、ヘンリーダーガー。

アウトサイダー・アート。。。

単なる偶然ではないんだろう。


そして、かっし〜の日記にあった、12歳の少女のスピーチ。

説得力は、

年齢や実績ではない。

本人の心からのうずきなんだ。

http:// www.yo utube. com/wa tch?v= C2g473 JWAEg


この本気が、一人一人の本気に火をつける。

なに、大きなこと言っちゃってんの?と、

引いたり、ちゃかしたり、笑ったりするかもしれないけれど、

そんなことから逃げて、自分をごまかしたりせず、

自分をじゅうぶん幸せにして、(これ大事。)

その1000倍、それ以上、

沢山の人を幸せにしたいと、本気で思ってる。

近い将来しているような、

そんな気持ちをリアルに感じた2日間だった。

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だから(?!)

6月17日の粘土で行うワークショップ。

是非来てね!!









posted by なっちゃん at 01:46| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(2) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

生粋のダメ社員

070328_1241~01.JPG朝の仕事の帰り道


改札までの、うんと手前で、定期を手に持つ

カッパミナコ@山田夏子です。



10数年前 美大生だった私。

しかも彫刻科。

卒業後、就職活動をして、企業に属するなぞ

ほぼ 誰一人考えない 文化。


そんな中、おかんにトラックの運転までさせて

通わせてもらった大学で、大金を使って彫刻を創ることに

半ば気持ち悪くなっていた。


早く自立して、早く自分で働いたお金で、

やりたいことをやろう。


そう思って、デザイン科の友人に就職活動の仕方を

ちょこちょこ教えてもらいながら、

大学4年のGWから、遅い遅い、私の就職活動は始まった。


デザイン事務所、

   公立の教員採用試験

 私立の美術教師

     養護施設

    ネジの会社?!。。。

普通の大学生にしてみたら、はるかに活動量は少ない。


それでも、教授や彫刻科の仲間には、

「えっ?おまえ、就職しちゃうのか??」

             そう言われながら、


粘土の粉で白っ茶けたアトリエから、

スーツ姿に着替えては、ハラハラしながら説明会に行っていた。


Vタンの会社説明会。

14時開始なのに、

午前中、

のんきに作品ファイルのキャプションを、手書きで付け、

最寄り駅に着いたのが、14時3分前。

走って走って、到着すると、

透明なガラス扉の向こうで、説明が始まっている。


ドアの開け方がわからず、慌てふためき具合が丸見えの中

会場入り。 

「ギリギリ過ぎてますね。」

と、ご指摘を受ける。


 もうこれはダメだ〜 、と、

エントリーシートもさっさと書き、一番遅くに来て、

一番早く、5分程度の面接へ。

5分のはずが、面接が終わった時には、

ほとんど、他の受験生は帰っていた。


内定をいただいたのが10月。

ずいぶんと遅い、駆け込み内定。

大学の仲間からは、

「 まっちゃん、デスクワークできるの?? 」

と心配される。


もちろん、できるわけがない。


デスクワークどころか、世の中の常識を全く知らない。


その時、内定をくれた人事部長に、

『 A HAPPY NEW YEAR 〜♪

     今年もよろしくっ!!!』 と、

ヘタウマのイラストに噴出しで手書きした年賀状を送りつけ、、、


内定者課題のレポートは、

締め切り期日内に送って安心していると、

電話がかかってきた。

「 封筒は届いたのですが、中身が入っていません。。。 」


入社してからも、書類の整理やファイリングが出来ず、

とりあえず、もらった書類をなくさないようにと、

毎回、5枚ずつコピーをとり、余計にぐちゃぐちゃ。


パソコンが使えず、私のクラスだけ掲示物は、全て手書き。

メールチェックすら自分で出来なかった。


上司には、

「お前は、大学で何をしてきたんだっ!!!」

と怒られ、

真剣に、、、

「粘土を練って、薪を割ってました。。。」

と答えて、逆なでしてしまったり、、、


「お前は馬鹿なのか?馬鹿な振りをしてるのか?」

と聞かれ、

どっちだろう???と答えられずにいると、

同期の子に、

「答えられないのに、振りなわけないでしょ。」

と、ひらたく言われ、、、


言い出したら、きりがないほどの失敗を繰り返した。


それでも、部長は、

ローンを抱えた、こいつは、そう簡単には辞めない。と、

笑って受け止め、

講師の方々にも、ずいぶんと助けてもらった。


スクールの責任者になっても、

「数値は、追うものじゃなくて、創るもの。

 いい教育は、、、結果、利益を生み出すんです。」

と、えらそうに、会議では吠えていたものの、

実は、数字の数え方が、よくわからなかった。



フレッシュマンから11年たった今、


新しい仕事

新しい生活スタイル

新しい出会い

新しい視点

新しい感覚

新しい日々。


毎日を自分でつむぐ

毎日が初体験

毎日が初対面

毎日が新鮮

毎日が緊張の連続


毎日が、あの頃のように空回り。


アウトサイダーなクリエイターが、

社会人としての厳しさや大切さを身にしみて感じていた

11年前。


いつから、あぐらをかいてしまったのか。。。


同じ思いを、懲りずにまたしている。


キャパも見えず、

仕事のハンドリングが出来ないけれど、


1つ1つ、いただいた言葉、いただいたお仕事、

こんなにありがたくやらせていただけている。


この思いだけは忘れない。


目黒川が桜の花びらで、ピンク色の川に染まる。

その花びら1枚のように、ちっぽけに流れる自分を

校舎の窓から眺めていたあの頃。

やけに、やけに、思い出す 今日このごろです。

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posted by なっちゃん at 07:18| 東京 ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

養子縁組 と 2007年の決意

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母作 笑点 的 年賀状

皆様 あけました おめでとうございます。

本年も、よろしくお願いいたします。


06年 年末は、親子で温泉旅行に行った。

富美子から

「話がある。」

わたしも

「話がある。」



母:富美子からは、養子縁組の話だった。


わたしの名前、松尾は、実の父親方の苗字。

母は、再婚して山田になったが、

その時私は、実の父親のほうへ

戸籍は残したままだった。


改めて、母の今の夫婦の子供として、

養子縁組を組まないか? という話でした。


すんなり養子縁組を決心。


なぜ昔、嫌がっていたのだろう?


やまだはなこ と1文字違いになっちゃうからか?


母:富美子、 父:富夫  まずで、漫才師のような 名前だからか?



わたしからも、話をする。

わたしの今まで生きてきた中での、ターニングポイント。

それは、「 母とわたしの偶キャリ。」に書いたように、

   〜祖母の告別式での土下座事件〜

わたしはあの時、生きる力をもらった。

あの場へ、背中を押してくれた、父:富夫 へ、

改めて、お礼が言いたかったんだ。


父に御礼をして、しんみりしていると、

横で母が目を丸くしている。


「 なに? 土下座したの? あの人。。」


あの日も電話で話したでないかっ!


母は、覚えておらず、初めて聞いた顔をして、びっくりしている。

さすが、

わたしの母。 一回聞いたことは、すぐ忘れる。


改めて、13年前の告別式の話をする。


なんだかねぇ。 

やはり、山田家の娘が、わたしらしくていいかもしれない。


易で占うと 『雷火豊』(らいかほう) → 豊富・盛大・繁栄

「もっと、あなたは成長できる」 と、卦は言っている。


07年より やまだみなこ になります。

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那須の空

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帰りに日光へ寄った。

今の想いをたくさん祈った。


明けて 三箇日。 

自宅の押入れからタンスから、全てをひっくりかえして

この11年のしがらみを、いっきに捨てた。

070102_2253~01.JPG2日の晩は、寝床をつくるのが大変なくらいだった。。。

だいぶ、気持ちも軽くなった。


3日の晩は、コーチと 2007年の決意コーチングを行った。

まずは、

06年の決意を振り返ってみると、、、

http://kappa153.seesaa.net/article/11562036.html

『人生の設計図を描く』1年。。。

転職という大きなトランジェットを行い、

自分の矛先を決めた1年になった。

自分の研修も、コンビも、花嫁修業?!(自己管理。)も、

すべて、達成。。。


コーチと振り返っていて、2人で鳥肌が立った。


そして、

   < 2007年 の 決意 >

2007年 

やまだみなこは、

『 みんなでHAPPYになる決断をし、それを形にする1年 』

にします。


その為にわたしは、

@やまだみなこ私自身としての仕事実績をつくる

  ・『DPCプログラム』の安定始動と出版

  ・『好奇心をかたちに』のパッケージ化と
   3回以上のセミナー開催と成功

   
A暖かい家庭をつくる

  ・今日は、こんなことがあったねと、眠る間際まで
   語り合えるようなだんな様がいる

  ・家族のための時間と行動をとる(for me から for you へ)


チャンクは大きいけれど、不安や迷いはない。

肝の据わった覚悟がある。  だいじょうぶ。


新緑の若葉のように、去年生やした大きな木から、
芽を出したいと思います。


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箱根駅伝


明日は、自宅のアトリエ開き。
宣言しようかな。


何はともあれ、、、


どうか、皆様

なにとぞ よろしくお願いいたします 。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*易・決意コーチング ご希望とあらば行います。

*MIXIにコミュ立ち上げました。
 『 カッパミナコ情報 』 満載。
 入会申請待っていますね。
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1670043















posted by なっちゃん at 02:50| 東京 ☀| Comment(13) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

わたしと母の偶キャリ。その2

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「 ミナ、あなたは、

  
  笑顔で怒る。

  
  笑顔で泣く。



 今までのあなたには、

 生きていくすべとして、

 これが必要だったのね。



 でも、うちの会社に入ったら、

 もう、そのお面は、脱ごうね。」



 転職後、初仕事の札幌出張のとき。



 初日の夜、社長と2人で夕食中に、

 ゆっくりと、しっかりと、、、

 社長に言われた言葉。




そういえば、昨日も言われた。


「そんな顔してるけど、 


    納得していないでしょ?」




見抜かれてしまう。




気付いてくれる人がいる。




高校3年生のとき。


美術の専門の高校に行っていた私は、


やっぱり美大に行きたかった。


毎朝、7時半には学校に行き、

授業前の時間、毎日デッサンを描いていた。


母からは、
 

「 大学には行かせられないから、

高校は、学区外であろうと、好きなところに行きなさい。」


そう言われて、1週間に10時間、美術の授業がある学校を選んだ。



よけいに、美大に行きたくなる。



造形大に推薦入学で合格していたものの

高額な学費の 私立には行けない。



東京芸大と愛知県芸を受けた。



26人定員の彫刻学科。 

受験者数600人。


受験戦争ピークの時代。


実力は追いつかなかった。



大岡山のおじいちゃんとおばあちゃんが

かけてくれていた保険を解約してくれて、

浪人。 美術の予備校に通わせてもらった。



予備校時代。

朝から晩まで、デッサンと彫塑に夢中。


コンクールで1位をとり、意気揚々と帰ってくると、、、


まだ、日の暮れきらない夕方。


台所のテーブルで、

母:富美子が、ウイスキーのビンを半分以上空け、

泣いていた。


びっくりして、テーブルの向かいに座り、


富美子の話を聞く。



富美子は、とてもとてもとてもとても、正義感が強い。



その日、富美子は、

会社の同僚たちの不満を一手に引き受け、

社長に抗議した。


とたんに、不満を言っていた同僚たちが

皆、社長側についたそうだった。



その場で、富美子は、会社を辞めると言って、

帰ってきてしまったそうだ。。。



「 美奈、 もう、彫刻なんてやってる場合じゃないよ、

  明日からの生活。 どうしよう。。。 あんたも働かないと。。。 」



そう言って、ぐちゃぐちゃに泣きながら酔っ払っている富美子。。。



多分、わたしが、本気で母親に怒った顔を見せて、

心の底から叫んだのは、 あの時が一番かもしれない。



富美子の腕をつかみ、


「 何言ってるの??? ほら、立って!!

  水飲んで!! 今の私に、彫刻は全てなの。

  それ奪うようなことしないでよ!

  困るよそんなのっ。 」



私もひどいことを言ったもんだ。




富美子は、数日もしないうちに、

オートマ車しか乗れなかったのに、

マニュアルの運転の練習を始めた。



運送会社のトラック運転手。



多摩川の空き地で、何度も何度も練習し、


うまく運転できない母は、

何度も何度も泣いたそうだ。



「そんな運転で、娘を大学に行かせられるのか?!」


今の父が、母に運転を教えてくれた。

それは、それは、厳しい先生だったらしい。



2人の結婚式には、

私だけが立ち会った。



結婚式の帰りに

3人で、居酒屋で乾杯した。


私が大学2年の春だった。お互い一人暮らしの時代。


数日前に、包丁がかけた。 と、電話でぼやいたら、


結婚式の日。

母は、新品の包丁を買って、持ってきていた。



居酒屋で、そっと机の下から渡してきた。。。



富美子よ。。。



私は、感謝の感情すら、今の今まで、

自分の中にあることに気がつけなかった。



今から、4年位前のこと、

後輩に、凄く当たるから、、、と、

誘われて占い師のところに行った。


占い師から、

「 あなたは、 もの凄い強運。 すばらしい力を持っている。

 そして、それは、

 あなたのお母さんが素晴らしいからだね。。。」


と、言われた。



なぜか、涙が止まらなくなってしまった。




占い師さんは続けた。


「 あなたの子供は、

  更に、もの凄い力と強運を持って産まれますよ。


  そして、それには、


  あなたとお母さんが、

  今までの関係を手放すことができたらね。 」



この言葉が、ずっと忘れられないでいた。



笑顔の仮面をはずして、誰の前でも正直に、

怒り、、、泣き、、、 

母の顔色をうかがわず、誰の前でもうかがわず、

ごまかさず、

これができたら、


少しは、手放せるのだろうか。。。


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わたしと母の偶キャリ。 その1
http://kappa153.seesaa.net/article/28100770.html















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2006年11月23日

わたしと母の偶キャリ。

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昨日、ゴスペルを聞きに行った帰り、、、
(あっ、すんごく良かったのです。これは、いつかまた 話すね。)


いつも乗らない電車に乗って家に帰っていた。


『大岡山駅』 ひらがなで書くと 『おおおかやま』



なつかしぃ



30年以上前

母と私が出て行った街。



母は青春時代、

静岡の田舎から飛び出して、東京の劇団に入っていた

劇団員どうしの結婚だった。


父の実家は、大岡山にあり、

母は、ここに嫁いだ。


母のお腹にはわたしがいて、

父は、家族のためと、夜も泊り込みになるくらい、

がんばって働いていた。


と、母は、の〜天気に思っていた。


私が生まれてすぐ、

父は、新しい女の人を連れてきた。

「この人とやりなおしたい。

 ここを出て行ってくれないか。。。」


まったく、見当がついていなかった母は、

腰が抜けるほどびっくりしたそうだ。


もちろん、私は、なんにも覚えていない。

気がついたら、2人で暮らしていた。

母は、弁護士も付けられない状態で、

2年の裁判の末、親権を勝ち取った。

東京で1人、必死に働いて、私を育てた。



たまに、おおかやまのおじいちゃんとおばあちゃんが

遊園地やら商店街やら遊びに連れて行ってくれた。


何も気がつかず、

大岡山のおじいちゃんとおばあちゃんが優しくて、大好きで、

母の仕事が忙しく、大岡山にあずけられると、

嬉しくてはしゃいでいた。


小さい頃の記憶はほとんどない。

ただ、大岡山の商店街だけは、鮮明に覚えている。


親子2人になってしまった不自由さよりも、

最初から2人だと思って、

「ほら、2人でも、こんなことができるねっ!」

と、楽しく暮らしてきたと思う。


「わたしがいなくなると、あんたには、兄弟も身内もいないから、

 お友達は大切にしなさいね。 

 そして、はやく、自立しなさい。」


 強く、優しく、たくましく、生きる母の姿を見て育った。


母(富美子)は、私がお金がかかるアートの道に進みたい

ということを許してくれた。


美大進学のために、母は運送会社のトラック運転手に転職し、

(その会社では、初の女性ドライバー)

その時知り合った、今のとーちゃんと、再婚した。


母の結婚式に立ち会えるのは、この上なく嬉しいことだった。



私が大学3年生のとき、大岡山のおばあちゃんが亡くなった。

お通夜には、母と2人で行った。

周りの人達が、小声で、「あら、富美子さん?」とつぶやいている。

帰ってきて、母は、「私はもう行きたくない。」とキッパリ言った。


母の気持ちは良くわかった。

今の父が、そっと、「みな、お前は行きたいだろう。行って来い。」

そう言って背中を押してくれて、

告別式には、1人で参加した。


ひっさしぶりに見る実の父と、奥さんと、半分血のつながった

男の子と女の子の横に並んだ。(初対面)


火葬場で待っている間、式場で出されるお弁当を1人食べている時、

知らない、おじさんやら、おばさんが、そっと来ては、

「みなちゃんなのね?」と声を掛けられた。


全てが終わり、席を立とうとしたら、1人のおじいさんが

近づいてきた。

「あんたが、みなこさんか、、、 

 ○○の父です。(今の奥さんのお父さん)」

「あんたと、富美子さんには、本当に申し訳ないことをしたっ!」

 そういって泣きながら、土下座をされてしまった。


淡々と、こらえていた私も、とうとう泣き出してしまった。

「ダイジョウブです。元気にやっています。」

それだけ何とか伝えて、式場を後にした。


ぼんやり中央線に乗って、当時暮らしていた国分寺のアパートへの

帰り道。

電車の中で、ふと、「あ〜、わたし、なんでもできるや。」と、

思ってしまった。 おじいさんに勇気をもらった。


帰り着いて、夜、母に電話をかけた。

母は、「 おと〜さんと、ほらっ、あそこの飲み屋さんの、

カラオケに行ってきたのよぉ〜♪」 かなり陽気に酔っておる。

富美子よ。。。いい感じ。


おじいさんに土下座されちゃったよ。と、話すと、

母・富美子、今度は泣き出し、 あの人だけが味方についてくれたんだ。

と、話してくれた。


実際の離婚の真相を聞いたのは、このときが初めてだった。


富美子。。。あなたは、このいきさつ、墓場まで持ってくつもりだったのか。。。



カエルの子はカエル。

きっと、ふつーの幸せ(?)を過ごすタイプではないんだろうな。


強く、優しく、たくましく。


自分の人生を進むのだ!


私の偶キャリ。は、これからが本番。


今日のこれは、母の偶キャリ。だったね。


さぁ、『偶キャリ。』ライブ が始まる。


いろんな人の、いろんなキャリアを、

本人、それぞれが、

大切に考えられる、時間と空間をつくろう。


準備を手伝ってくれた職場の仲間、

由紀ねぇ

母・富美子よ!


ありがとう。










posted by なっちゃん at 12:04| 東京 ☀| Comment(19) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

母に捧げるバラエティ。。。

♪いつもぉ〜
   きこえるぅ〜
     あのぉ〜  おふくろのぉ〜声 ♪


060622_1916~01.JPG共存の社会



明日は、いよいよ

  サザエボンとの饗宴復活!

http://www.choco-ave.com/communication/index.html

今回は、フォーティーウィンクス主催にて、

女性のための女性による女性のみのセミナーでございます。

(6月9日のブログも見てね♪)


カリキュラムが完成した今。 いやぁ〜〜〜

ほんっと、良いワークショップになるよ。 これ。


ちなみに、うちのおかーちゃんまでも、参加。


かーちゃんといえば、

昨年から、晴れて定年退職した、うちのかーちゃん。

私が2歳の時に離婚し、

女手一人で、私を育て、

がむしゃらに働き、

美大浪人までするわがまま娘を

社会に送り出してくれた、凄腕おかん。


彼女との生活は、美しく慎ましやか、というよりも、

友人曰く、 「あなたたち、まるで漫画だわ。」 と。



晴れて、大学が決まった日の晩、


テレビを見ながらうとうとしていた、うちの母。

いびきの合間に 出た寝言は、、、、  


「いっ、、いっ、、いっかくせんきん。。。。。」



娘、そばで固まる。



次の日、新橋で、こずかい全てをはたいて

宝くじ売り場にならんだ。

娘も娘です。 ( 続く )


話し出すときりが無い。そして、話がズレてしまった。。


要は、そんな かーちゃんが、

ずーと、 娘の為、 家族の為 と、

働いてきた。

いよいよ、昨年、円満定年。


しかし、自分のための時間を長い間

押入れの奥にしまってきた彼女。

いまさら私は何がやりたいの???と悩んでしまいました。


こりゃー、親孝行の良い機会。とばかりに、

コーチングの勉強会などに連れ出すと、

あれよ、あれよと、毎月勉強会に通い始めた。


すっかり、フットワークの良くなった彼女。


土曜日は、なにを言い出すのやら。。。


とにかく、土曜日のセミナーが楽しみなのです。


そして、

日曜日は、めぐっち様と 笑いの饗宴。

ファッション業界で活躍したい人を支援するセミナー 開催です。


今週は、Webセミナーやら、アルバイト&派遣研修やらもあって、

4連投。

来週は、おおもの。 新卒研修だ!!!

昼も夜も食事会。 

きっと、終わったら、抜け殻のようになるんだろうな。。。


しかし! 殻になっては いられないっ!

長野研修もあるし、

来週土日は、うちの部署での慰安旅行。 

しかも、、、幹事。。。

なんにも慰安にならないじゃないかっ!!!


同僚がしていたネクタイが、紺地にピンクの大きな水玉。

「ペテン師みたいだねっ!」  と、毒を吐き。


後輩が、スーツ姿に黒スパッツ。

「フォーマル魔女ファッションは、どうなんだろうか?」 と、からみ。


わたしも、おばちゃんになったものです。

060621_0141~01.JPGおきゅうと・という、山口県産の不思議な食べ物が、スーパーに涼しい顔して、当然のように陳列してあった。 微妙な味。
posted by なっちゃん at 07:26| 東京 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 生い立ち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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